後世まで語り継がれるものに!

〜「常識」も「非常識」も清濁併呑

時代を超えて語り継がれる人、後世まで語り継がれるものがあります。
それは人を幸せにしたり、生活を快適にしたり、心を豊かにしたり、
いずれも人や社会の幸福にとって大きな功績を築いたからでしょう。
ただ、それを成した人は、常識だけでなく常識を超えたところにある
非常識を敢えて実践し、発明や発見に行き着いたのではないでしょうか。

“常識”だけでは生まれなかった天然100%

一歩、先を行く、これまでにない他とは違うことをやる、そうやっていろんなものが進歩していったのが人類の歴史だと思います。しかし、初めはその良さがなかなかわかってもらえないのかもしれないと思うことがあります。ところが、それが何年たっても未だに語り継がれて名車、名機と呼ばれるようになっているものがあります。なぜ語り継がれるものができたのだろうか、それを生み出した人はいったいどういう考えだったのか、すべてを常識的に、無難に、とくに何のチャレンジをすることもなくやってきた人だったのか、それとも、ちょっと非常識な考えを持ち自分の信念を曲げず貫いた人だったのか・・・そして、どっちの生き方をすればそういうものが生まれるのだろうか、そういうことを考えると、ものづくりには常識も非常識も持ち合わせたほうがいいのかもしれないと思ったりしますね。

翻って我が社の場合、私自身は男でありながら女性の化粧品をつくってきました。女性が化粧品や洋服をつくるというのは当たり前でしょうが、なぜ、男の私にそれができるのだろうかと考えることがあります。間違いなく我が社の女性従業員よりも私は女性の考えがわかる男だと思います。ということは、女性だからできる、男性だからできないという単純な理屈が通用しないですよね、私に限っては。何より天然をつくったのも、女性の肌というのはそれだけデリケートだと知ったからです。そして、それまで合成じゃないとできないと言われた化粧品の常識を打ち破った、だから異端児だ、非常識な男だと言われました。今、非常識だ、おかしいと指摘されると自分を正当化するために屁理屈をこねる人をテレビでよく見かけますが、私は非常識と言われてもブレることなく正しいと思うことを貫き、女性を笑顔にして周りの人まで明るく幸せにしていく商品をプライドを持っておつくりしてきました。願わくば、“天然100%”が永く語り継がれ、女性の笑顔が増えていけば嬉しいことです。

高みを極める人は、高いプロ意識を持つ

私はこれまでに多くの著名な方々と対談をいたしました。この頃、その相手の方々が相次いで亡くなり、当時のことを思い出しています。その方々とお会いしたことで自分を見つめ直すきっかけになり、また、生き方が変わるような衝撃を与えてくださった方もいらっしゃいました。それは、芸なら芸、仕事なら仕事、その分野、分野での頂点を極め、高いプロ意識を持って偉大な実績を築いてこられた方々だったからだと思います。そういうものが後世に語り継がれていくんですね。それは、天賦の才があったというだけでなく血の滲むような努力をしてきたからこそだと思いますが、我が社の従業員もそうあってほしいと思いますね。

お客様のご満足のため、「イチ押し」は全力投入!

私がもっとも大事にしている「イチ押し」に関しては、毎回、季節や社会の状況、地域や消費者の状況などさまざまな情報を集めて決めてまいりました。今は動き回ることができませんので、お取引先をはじめ外部の方々に直接、お電話を差し上げて消費の動向などを聞き独自に景気判断をしたり、また、今何が売れているか、ものの動きを聞くなどして売れ筋商品を判断したりして「イチ押し」の参考にしています。ですから決して最初から大胆な価格付けをしているわけではありません。緻密な情報に基づいて、「今月はこれで」と、お客様にとってご満足のいく価格を決めさせていただいています。また、今年は各地で自然災害が相次ぎ、たいへんな思いをしていらっしゃるお客様も多いと思います。私はそういうことも含めて吟味し、今できる精一杯の価格を決定しています。ただ、毎月のこととはいえ、皆様が本当にご満足していただいているかどうか、実は不安でいっぱいなんです。

また、今年は酷暑でしたからアルカディアスクリーンを併用してお使いになった方は、この強烈な夏の刺激からガードできているのではないでしょうか。まだまだ残暑は厳しく、アルカディアスクリーンは、この異常な気候を予測しておつくりした商品ですから今からでもお使いのグレード商品との併用をお勧めいたします。

静養中の私のストレスの元凶

今うちの従業員の中にプロ意識を持って仕事をしている人間がどれほどいるか・・・うちの会社のことですが、お客様にも知っていただこうと思います。

ご存知のように、私は未だ病気の治療のためずっと静養しています。私でなければ判断できないものは別として、私を病人とも何とも思っていないかのような仕事が持ち込まれてきます。「病人の私にそこまでさせるのか、社長はお前か?」と思わず言いたくなるときもあります。

あるときは何の説明もなく書類がポンと置かれたままになっている。これは誰の案なのかを問い質すと、皆、黙ってしまう。言うと都合が悪いんでしょうね。これではイライラしてストレスが溜まるのは当然でしょう。

果たして、私のほうが、彼らは仕事ができないから仕方がないと理解して状況を考えてあげないといけないのか、それとも、都合が悪くなると黙ってしまうのは、いまの人の当たり前の行動なので仕方がないと諦めないといけないのか、どうなんでしょうね。考えるだけでも具合が悪くなってきます。

仕事というのは、これだけやりますから、これだけ報酬をくださいと、そういう責任を持って臨むほうがいいのかもしれません。厳しいけれどもやりがいもあるでしょうし、また楽しさも見出せるはずです。現状は少し甘すぎるかもしれないと思っていますが、従業員にも言い分はあるでしょうからね。でも、言い分は私にもありますよ。経営者としても人としても言いたいことは山ほどあります。病気の人間にどんどん仕事を持ってくる、それは人としてどうなんだと問いたいですね。私が病気になった一因がストレスだとすれば、それは誰のせいだったのか、改めて考えさせられます。